2017年12月号 no.150 3/3


           鳴鴻渡海


      賀日本千葉縣葛飾吟社《梨雲》出刊150期
                      福建省南平市 陳學樑

       漢俳五首
  大和崇富士,采得漢詩文明。葛飾築前營。
  世間千百態,幻成詩彩匯《梨雲》。葛飾立潮頭。
  常盤坪上望,詩集欣聚詠清時。葛飾得先機。
  風追漢唐宋,李白陸游皆是師。葛飾綻一枝。
  出刊百五期,翺翔詩國瞰峰低。葛飾一面旗。

       少年游

  交流文化有詩章,文史續傳場。詩箋跨海,詩情放彩,詩誼系桅檣。
  為詩葛飾懷天下,投稿不彷徨。百五期刊,《梨雲》更燦,季季再芬。


詩詞

     詩詞 二十首           上海 陳清渓

      西安秋行十三首

    浣溪沙・建国六十八年国庆节前夜读完《三体》第一部有题

  星系文明别样天,银河舰队出深渊。遥知黑洞几维编。
  消息欲教青鸟送,时光宁往古时传。还将寂寞五千年。

      邓丽君

  明月几时有,今无邓丽君。歌声甜蜜蜜,街巷已无闻。

      应邀题中秋亲友情一首

  国庆中秋双节欢,红旗飘处月圆看。遥知亲友翻微信,十月长安雾气澜。

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      灞渭桥

  灰白秋风灞渭桥,苍茫雁阵上云霄。初来湿地感凉气,八水长安秦岭遥。

      灞渭桥上即景

  水边白鹭爱鱼丰,湿地芦丛复草丛。禁钓牌文谁管得,一竿空效柳河东。

      蜗舍蛛窠

  唐都近日询楼价,平米倍于前岁多。北上广深蜗舍恨,如今西望亦蛛窠。

      十五夜

  街道流灯云带水,梧桐大叶草棲虫。今宵月饼须甜腻,好似繁华秋露中。

      大雁塔广场读唐诗

  大雁塔边云影移,如峰起落百泉奇。遍寻灯柱唐人作,尤喜平生未读诗。

      牵牛花

  林中碎树皮,蚂蚁不知疲。卿亦爱花者,露浓盈一池。

      望彩菊(女儿汀所拟之题)

  芳芳菊花如此美(汀),开在金秋满院光(兴)。
  颜色缤纷已迷乱(兴),光菊香气带秋凉(汀)。
   注:汀,兴之女儿。时八周岁。

      游长安菊展

  秋华非只限金黄,道遇蜜蜂来异乡:“太远终南不能到,唯飞西北菊花庄。”

      丁酉秋游青龙寺读到唐诗人郑壬赠空海之五律中
      有雁塔归殊域鲸波涉巨津即拈域为韵作七律一首

  西安秋色云如墨,小寨边曾开佛域。丹凤门含日月思,遣唐使带烟波忆。
  青龙寺里樱成园,纪念碑前人若织。古道千年高野山,空海如灯犹未熄。

      秋日过青龙寺遗址读空海生平有题

  讃岐传面号乌冬,空海归来开密宗。油炸鲜虾葱末上,香川一碗映云踪。

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     讀仓央嘉措情歌六十六首選七首裁七言絶句

  引子:
  旅人等在那里 虔诚仰望着云开 咏唱回荡那里 伴着寂寞的旅程
                     ----- 许巍歌曲《第三极》
      获 宝

  闻道蓬莱藏异珍,凡间只是近海滨。此生能得与君老,即是深渊获宝人。

      白 玉

  情人路上能相遇,信是前生未了缘。白玉人间如不识,拾来翻又弃山前。

      月 夜

  玉兔月中消瘦否,团圆十五夜清凉。细思今朝应初六,伸手欲将明月量。

      野 鹅

  冰封湖面照云过,芦苇风飞向野鹅。少顷吾心停驻处,镜心云影已轻挪。

      布达拉宫

  白雪纷飞破晓时,出门天色暮云垂。归来仰望雪花里,布达拉宫雄伟姿。

      画 眉

  柳林闻见画眉鸟,春日迎风一曲听。寄语多言鹦鹉事,画眉前面勿轻鸣。

      偕 老

  我言今世愿偕老,春暖秋寒牵手姿。卿道除非天地合,不然今世不生离。


     词 七首            陕西省 刘泽宇

      临江仙 12月4日大雾,阿玉妹冲寒来访

  晓雾弥天浓不化,萧娘访我冲寒。西窗话旧意绵绵。前途无限好,相互祝明天。
  少女生涯浑一霎,更怜少妇俨然。还从面影认当年。深情长品味,那时笑真甜……

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      临江仙 冬日遣闷

  味减情疏吟亦倦,临窗独对苍穹。阴云低亚午寒浓。悲从心际起,无语泣西风。
  旧梦前尘空幻影,也随落叶匆匆。少年俦侣散成空。前头知寂寞,求索正无终。

      满江红・冬至日窗边读《清词一千首》(即谭献《箧中词》)
        感美人之迟暮,有作

  日淡风寒,余窗外、白云无数。闲把卷,一番吟啸,一番凝伫。逝水年华难逆挽,而今翻怪流光误。羡当年夸父逐羲和,英雄路。
无限景,谁肯顾?无限意,难倾诉?恰人间冬至,岁云将暮。立万世名何足道?溯三百年吾能武。恨词流百辈已如烟,遥追慕。

      貂裘换酒・以词代笺酬羌州李宗泽老先生

  敬启先生右:捧瑶笺,无言独立,寸心微皱。恰值中年伤哀乐,忽遇山南诗叟。也一样、贞魂坚守。自古神交剖肺腑,况诗缘原本无须售。岁寒也,对樽酒。
  江湖我亦长飘走,卅年来,平平仄仄,路长坡陡。天地悠悠难圆梦,满腹诗书空有!长啸罢,彤云如兽。遥念青山高卧处,问门前种否陶家柳?余不一,生顿首。

      贺新郎 岁末寄怀高兆鸿、姚平诗丈

  不寐何为者?正相思、古城二老,长安诗社。白雪飘飘花满树,又是岁云暮也。更重温、当时清话。太乙楼头风义在,更寒梅阁里人清雅。信纵少,每牵挂。
  而今生计愁还怕,况书生、萧骚局促、药炉之下。白眼看天天看我,眸子酸风相射。颓唐处,是人皆骂。人到中年伤哀乐,任平庸消得诗情寡。如再会,公莫诧!

      念奴娇 庚辰新正,与高中同学任晓歌临潼街头邂逅

  街头邂逅,正零濛细雨,轻沾乌发。人海茫茫还识我,顿感真情如雪。岁月如歌,年华似水,心事空明灭。朗然一笑,俗庸经历堪说。
  试问同学当年,风流云散,谁是人中杰?我亦江湖沦落久,磨砺几根冰骨。雪底春萌,梅边腊尽,光景何清绝。此时相对,别添多少亲切!

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      鹧鸪天 岁末家事

  儿病经旬米袋空,又闻妻子暗嘟哝:君云书有黄金贵,何至今朝仍复穷。
  唯苦笑,语谦恭,生涯如此羡平庸。忽然拍案还张目,也欲焚书效祖龙!


     诗  十首           浙江省 夏 凯

      理安寺题志逢禅师

  法雨亭前抱古钟,也携蒲扇化清风。云中啖虎千金肉,坐骑山林啸傲从。

      题钟馗

  闻君笔力动阳春,耻干天阍做客人。长绕龙宫水精柱,一时怒触玉横陈。

      题师旷

  南风不竞死声随,蚤夜惶惶病骨支。唯有暝臣心可彻,固无墨墨与委蛇。

      题师文

  一寸优柔关地角,三年惨淡著天根。何须小假重新琢,自是玉人难共论。

      斯 人

  怜伊精蚌生沧海,彻夜损心灵药无。若见流连怀绮梦,何辞肠断奉明珠。

      前日萧萧于粤寄书一箱,先阅缪钺公撰杜牧传,
      感激之余,成诗一绝相赠。

  长河衔日水流东,更接青冥第几重。不及斯人多谪宦,从来陌上感飘蓬。

      酬禹含寄予手书,欣然不知所往,未知吾意,特赋诗一首

  禹迹仙碑难得觅,含冰长咀世间知。一天云净松风歇,犹处高峰望断时。

      宫 词

  银床御坐彩云天,粉黛三千奏管弦。会当沉醉瑶台里,情似婵娟月月圆。

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      钱塘夜月闻洞箫

  江南丘墟青竹歇,凤倚箫干天籁发。一朝氤氲透骨色,玉人按指腻新月。
  初生凉夜陨微风,银河迢递双眸中。平沙有雁颉颃飞,到此寻常落苇丛。
  远山无极黛描长,临江垂发拂清霜。莫将檀唇御香泽,且擢金茎承露光。
  蜉蝣相得愁逆旅,何其辽哉吴与楚。才涴鲛绡叠珠泪,却上龙梭鸣机杼。
  绣成鸳鸯合欢深,挑尽画烛女儿心。薄翼犹怜振空翠,蹁跹只影转山阴。
  更阑独处云烟里,望断天涯按剑起。海日弗喧层冰裂,忽如万蹄踏潮水。

      临安大雪赠梦生

  羲和践日玉蹄冻,白龙撼海不敢冯。山坼四维平地起,玲珑一座水晶宫。
  琼花倒卷云欲黑,天下奈何路尽塞。一人忽醉卧雪中,知是青眼向飞鸿。
  冠盖相续英灵位,首阳长嗟饿殍空。十年面壁倾心处,二三之子含冰咀。
  莫得神方凭艳色,微躯岂必似转篷。生涯底事真突兀,烦疴消却黄金如。
  由来放浪形骸外,俯仰世间自龃龉。冥冥归去无南北,腰间当时吼生铜。
  婵娟若非有盈虚,清霜应共浴老樗。幸会彩毫光足迫,从容香阵射寒蜍。
  对镜强欢拟春红,初停玄影明烛同。临安客醒梦匆匆,一枕繁华水流东。


漢俳

     段乐三给《梨云》组稿

      《咏千手舞》         湖南省·段乐三
  仙风如意到/粼粼波动女人腰/千手一同飘
  情在臂中摇/意在心中十指抛/弧线万千条
  伊人同体邀/几许妖娆几许娇/风流你在瞧

      《巴利渡中秋》         纽西兰·林爽
  出行游远方/暂抛烦恼愁思忘/巴利望月光
  明月照四方/离合悲欢转眼忘/何苦心难宽
  巴利月明亮/风光秀丽海风凉/美景不一样

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      《丑小鸭》         河北省·北冰
  一只丑小鸭/沉睡河边梦无华/错过春和夏
  暖风捎来话/梳理翅膀染暮霞/扑通水里划
  甜歌美呷呷/ 水中啄破怡情话/憨笑追浪花

      《乡愁》        美国·云霞
  晨起懒梳头/乡思万缕人空瘦/秋山㸃㸃愁
  童年嬉韶光/湖上歌声琴韵扬/梦𥚃仍飘荡
  犹记高堂在/嘘寒问暖爱盈怀/遥思泪满腮

      《乡愁》          纽西兰·潘婉容
  童谣耳边翔/又骑父背抚颈项/泪盈视旧相
  又思家饭香/常梦童年风雨巷/愁思日日长
  登高风劲响/极目云深是故乡/高堂可安祥

      《乡愁》          纽西兰·孙妙捷
  夜深触背影/人在异乡思故情/鸿书寄远亲
  长悲月星移/孤身只影度朝夕/千里心相系
  何时惊梦醒/独对月亮与群星/明眸双泪盈

      《春》          纽西兰·林宝玉
  小径缘门扫/蜂飞蝶舞春意闹/新绿染林梢
  独倚心桥畔/千里烟景莺啼唤/物我共盘桓
  蒲酒浮觞伴/吟诗作对杜鹃岸/喜乐上心坎

     《泰晤河上友誼長》        纽西兰·孔薇薇
  相识五十年/校友重约英伦游/把酒品茶聊
  优美泰晤河/天鹅穿插垂柳飘/船家互招摇
  重聚半百年/昔日同窗诉短长/回我少年时

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     詩詞五万首を詠んで
                       石倉秀樹

 作詩歴20年、拙作5万首を超えた。律詩、絶句、古詩に詞と曲など伝統的な詩詞が2万5千強、残り半分は曄歌や漢俳などの現代短詩である。現代短詩では葛飾吟社の創設者中山逍雀先生提唱の曄歌・坤歌が一番多く、その三四三を四四三、五四三に読むなどの変型を含めれば1万3千首を超え、漢俳は6千弱。
 詩はもとより数ではない。数では多作で知られている乾隆帝の4万首、陸游の3万首を上回っているが、詩の内容や一詩あたりの長さなど考慮すればとても二人に及ばない。しかし、私の作品の数に意味があるとすれば、私が純粋な日本人であり、中国語をよく知らないのに多くの詩を詠むことができ、その数だけ詩作りを楽しめた、ということであるだろう。私の作品数は、漢字とそれを制御する簡単な文法、そして韻律すなわち押韻と平仄に関する規律を承知して受け入れさえすれば、中国語はよく知らずとも詩が詠める、ということの証である。
 詩は思うままに自由に詠むもの、というのが現代の詩人の大方の考えだ。そういうなかで漢詩の韻律は、作者の自由な発想を意味もなく規制するものと映る。現代の詩人は、平仄が思うように調わず、適切な韻字が見付からないときに苛立つ。
 しかし、詩は思うままに自由に詠むもの、という考えは、今ある自分と自分が考えることを良いものとすることに他ならない。一方、漢詩は、韻律に合わない句は、つまらないもの、美しくないもの、詩に詠む価値がないものとして棄却する。
 そうであれば、作者は、自分の心に合うよう韻律を支配しようとするのではなく、韻律に合うように自分の心を改造した方がよいのではないか。韻律に慣れるにつれ、私はそう考えるようになった。思うままに自由に詠むことは作者にとっては快いかも知れないが、そこでの作詩の実際は、作者がすでに知っていることの再生産である。それが韻律にあわないときは、作者は既知の考えを変えざるを得ないが、それはつまりは、未知の領域に一歩を踏み出すことではないだろうか。今ある自分の考えを否定する、それを詰まらないものだと否定する。韻律にはそういう力があり、自身の今の考えを韻律に叶うよう変えることで未来を詠む、そういう醍醐味があるように思う。つまり、思うままに自由に詠む詩は、我思うゆえに詩あり、に終始するが、韻律に依拠する格律詩は、詩なれり、ゆえに新しき我ありではないのか。
 とはいえ、平仄を調え韻事を探るプロセスのなかで、詩人が、昨日までの自分とまったく別の存在になる、ということはあり得ない。平仄に叶う言葉の組み合わせは無数にあり、そのなかからどれを選ぶかは、今ある自分、昨日までの自分がやることなのだ。自分が好きな考え、自分が好きな言葉を選ぶことで、少しは見えていたかも知れない未来の門は閉ざされ,我思うゆえに詩ありの我執に舞い戻ってしまう。
 そこで、所詮は自分に書けることしか書けない、ということになる。ただ、所詮は作者それぞれの枠を越えることはできないにしても、思うままに素直に句を詠めない、という韻律との格闘が、韻律に合わせてみたら思いがけず、いい句が得られた、という喜びを与えてくれることがある。

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by kanshiriun | 2017-12-23 08:43 | 2017年12月号
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