梨雲 2010年1月号 no.106 2/2

          鳴鴻渡海


詩詞


      賀日本太空貨運飛船発射成功   湖南省 寥巨源先生

  太空貨運始扶桑,火箭升空赤焔張。從此飛船游廣宇,東瀛風韵豈尋常。

      社会怪胎            湖南省 寥巨源先生

 “盛世茅臺”天價烟,時逢國慶競争先。“富人消費”君休間,送禮機關別有天。

      瞻仰劉少奇主席銅像       湖南省 寥巨源先生

  衡岳雲蒸氣勢雄,洞庭波涌駕長風。○山木秀鍾英傑,□水花明起蟄龍。 
  少志遠謀恢禹甸,奇才偉略壮蒼穹。花明樓上千重錦,“六字”沈冤化彩虹。
       ○;水+爲 U+6F59 □;革+斤 U9773


      慶呂君四五歳生日        吉林省 景暁峰先生

  伊水霊山有賢人,填詞作賦卓不羣。芙蓉清水露美貌,刀研斧鑒了無痕。

        其二

  時節如流歳月裕,四十五載執同途。吟詩作對楽相趣,不聞功名與権庶。

  又一副聯
   青春不在春長在;歳月無情月有情。

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      賀子榮四十五歳生日       吉林省 魏宏斌先生

        其一

  年輪四五目當空,松柏葱蘢季季青。文海○徨称後傑,詩山信歩誉才名。
  大鵬展翼嘯天宇,羣鳥放喉酬和聲。君舞丹青堪作畫,濃情重彩繪人生。
       ○;U+5F9C

        其二

  學高八斗人欽啓,徳厚名揚不倨功。詩架誼橋域外連,賦飄友帯海峡通。
  蓮花一吐折丹桂,文友廣交論道精。不惑之年當不惑,春光不語伴君行。

  又聯二副
  引吭高唱開寰頌,頌薫頌國頌民頌江山;
  激情放歌揮毫寫,寫詩寫詞寫賦寫人生。

  呂郎子孝妻賢家庭和美,實爲人生幸事;
  齋柴詩精又富才名嚮誉,眞乃桑梓栄光。
     注;呂子榮称筆名齋柴。


      七言律詩四首録二首       遼寧省 陳世健先生

        中日友好新短詩交流会欽得

  牡丹江市金陽照,中日交流藝境高。佳對賀聯酬盛會,短詩宏論領新潮。
  恩公授奨星光燦,美女飛歌月食嬌。清酒怡人心志進,千秋大業架虹橋。

        日本友人暢游鏡泊湖

  重游堰塞鏡泊湖,放眼豪艇氣概殊。窗外青山街前日,庁中墨筆画宏闍。
  吟師雅賞清平楽,導友相知黙契舒。誰挙鏡頭低個償,日中和睦笑蒼梧。

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      詩 五首            四川省 哀震川先生

      水 仙

  不愛塵埃愛水郷,金盤玉盤濯冠黄。慢言窈窕嬌無骨,蘭質蕋質○骨香。
                       ○;女+毘 U+5AB2

      野 菊

  怡情眷眷恋清秋,痩体臨風奪○頭。不屈霜華誰與匹,無花楓葉也知羞。
  ○;爿+犬

      夜 思

  雨是風非不屑栽,世酬詩債両抛開。討嫌多事臨窗月,又送相思入夢來。

      山中茶寮

  鳥語天音合,林濤律韵分。高山閒不在,爲我理浮雲。

      五指山桃花

  梓水南來鳳嶺東,瀰江側畔火焚空。誰家燕剪春光落,散落枝頭樹樹紅。


      海瑞祠             浙江省 徐中秋先生

         一

  萬頃蒼波聳一祠,焚香拜送憶當時。民心自會分清濁,居位諸侯可熟思。

         二

  莫道湖波今日閑,当年挙国巻狂瀾。峰剛先惹○風折,一説清管心胆寒。
                      ○;U+7F61

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      乗快艇游千島湖         浙江省 徐中秋先生

  犁砕瓊田玉屑飛,絲絲涼意入胸扉。眼前圖画画中我,松下横舟上翠微。

      梅峰観島

         一

  四囲山色緑朦朧,十万青螺碧水中。覓食凌波飛白鷺,翠湾轉出画船紅。

         二

  遠山淡淡水濛濛,観景臺頭数碧峰。千島湖水天亦醉,算陽染得暮雲紅。

      千島湖

  萬頃瑶池水,清波越女睛。四囲山色里,猶抹夕輝明。

      神龍島
    千島湖蛇島,美其名曰;神龍島。故諷之。

  怪事人間出不窮,毒蛇此日変神龍。未知臺上纓冠客,眞箇眞身是杰雄?


    望身樓・同韵和玉琳兄《嚴子陵釣臺》 浙江省 徐中秋先生

         一

  自有君恩栄此身,羊裘蔽体不愁貧。臺高千尺顕人眼,爾道江隅眞釣鱗。

         二

  富春水色可怡神,秀竹茂林亦酔人。若是高名垂萬古,管它朝政與黎民。

         三

  寒江釣雪○無塵,勛業千秋出渭濱。借問富春嚴處士,垂論爾算與誰隣。
      ○;U+6D01
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      日本遺孤訪華代表団       江蘇省 陸長嘯先生

  日本遺孤到,中華“父母”珍。感恩排濁浪,中日一家親。
     注;中国抗日期間収養日本遺孤的養父母到機場歓迎,擁抱,對泣,
       場面動人。

      水調歌頭・初讀《風之歌》    江蘇省 陸長嘯先生

  電脳引風雅,詩友挙霞觴。時空超越彊界,才気韵宮商。何惧高空朔北,我伴《風之歌》去,詩國可○(皐+羽 7FFA)翔。君韵歩“香港”,美刺洒城郷。
  師貢老,和王律,染遐荒。詩情横逸,與時倶進“雅評”揚。百韵三吟游旅,夏日閑情酣飲,茶酒潤華章。明月清姿美,捧日頌炎皇。
    注;《風之歌》既是詩詞的書名:風之歌又是王廣華詩友的兩名。

      已丑重陽訪老友張一飛詩兄    江蘇省 陸長嘯先生

  天高氣爽過重陽,長嘯從游許陸荘。電網縦横民楽業,紅墻別墅富秋光。
  當今詩叟神情厚,幾代家人待客香。望九温良人固拜,期頤茶寿再趨堂。


短詩

     漢俳・謹贈日本友人松本杏花女士  吉林省 呂子榮先生

  才麗牡丹江,人面春風識杏花,詩苑一奇花。

  松本一霊支,佳章美酒酔吟癡,萬里結相知。

     漢俳・謹贈京華忘年詩友高勇前輩  吉林省 呂子榮先生

  正気沖霽外,故主遺風今尚在,不共滄桑改。

  大徳結芳隣,歳月悠悠多少春,喜我拈蘭馨。

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       漢詩詞創作講座 国際文化交流
                          中山逍雀

 どの様な方法でどうすればよいか?この様な課題は、筆者にも確たる方法があるわけではない。依って自分の経験を述べてその任を逃れる。

 私は大きな野望を持っていた訳ではないし、今も持っていない。人生経過の一つである。漢詩詞が特別に好きだった訳ではない。偶偶、漢詩詞に手を染めた迄である。

 漢詩詞に手を染めたのだから、中国方々と友好が築ければ幸いと思った。私は農民の出身であったし、肉体労働と土が好きであったから、好んで肉体労働と山野に縁の有る仕事に就いた。

 だから、狩猟民族より農耕民族の方が、何となく私には違和感がないのである。この様な漠然とした理由から、詩歌を橋梁に中国人との間で詩歌の文化交流をすることとなった。

 其れには、先ず、漢民族に通用する作品を作れなければならない。漢詩詞を学ぶには、次のようにした。先ず日本では、日本の漢詩壇に教えを請い、日本の書籍を読み、此は数年で完了した。此で習得した句法詩法は概ね六割である。

 日本での知識取得が頭打ちなので、中国の漢詩詞壇に投稿して、先方の知遇を得て、句法詩法の教えを請うた。それでも殆ど知り得たという感触はなかったが、此で概ね八割の詩法句法を習得したと自負した。

 詩人は詩法句法に精通しているわけではない。詩人とは作品が巧くて、自己顕示の方法に長けている人である。
 詩詞の専門家は知識は豊富だが、作品が巧みとは限らない。自己顕示に長けているとは限らない。
詩人が頭打ちなら、中国の国文学者に尋ねる事とする。中国の詩友に、漢詩詞専門家の紹介を数次申し入れた。数人の国文学教授を紹介され、あと二割の疑問点を質問し補追した。此で殆どの漢詩詞句法詩法は習得した。

 惜しいことに、中国は日本と違い、近年の共産党革命と文化大革命に由る焚書坑儒で、多くの文化人が混乱の犠牲になった。

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 運良く殺戮を免れた人は少なく、また多くの文化資料が灰燼と化した。彼ら大学教授は私が知遇を得た当時、既に高齢だったので、現在は死亡或いは老境に到っている。

 漢詩詞交流の方法は、先ず歩韵作品の応酬である。毎月五十通あまりの手紙が来たので、その殆どに歩韵して返信した。

 中国から作品或いは書籍などが寄せられた場合は、先ず葉書で受け取った旨の返事を出す。次に作品が梨雲に掲載されたときは梨雲を、WaveSightに掲載したときはSightの写しを、先方に送っている。

 對日本人、對中国人、何れでも同じ事だが、自分がどの様に看られているのか?は、重要な関心事である。
 返事が来ない!音沙汰無し!は、余程軽く看られているか、或いは余程傲慢な人だ!と判断した。書籍などを送っても音沙汰無しは、此方を余程バカにした傲慢な相手と判断した。

 對中国人への手紙は、此方が余程桁外れな人に出した場合は別としても、殆どの人は、一介無名他国の凡夫に対して、必ず返事をくれる。詩の嗜みの有る人ならば、殆どの人が応酬作品を書いてくれる。

 次に面談交流である。中国各地の詩詞壇から、個人として研究討論会への出席要請が来たので、怖い者知らずで個人で数回は出席した。

 関西方面の漢詩壇や詩吟会や俳句や短歌・・・・などの文化団体は、上海で文化交流会を開催する事が多かった。然し北京で漢詩詞壇が交流会を開催することは、日中友好漢詩協会棚橋篁峰氏の他に居なかった。

 上海からは、吟社と吟社での、交流会開催が提案されて居たが、此は承諾せず、北京で交流会を開催した。何故に北京か、と謂えば、上海は経済都市で、北京は政治と文化の都市だからである。

 作品応酬の相手先は中国本土と世界各地の架橋とで、多いときは四百人近くいたが、年を重ねる毎に次々と、死亡若しくは老境に入ってしまった。自分の年齢経過も考えて、新規の追加をしていないので、減る一方である。

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 交流相手の継承は、紹介状を出しても、引き継ぎ人が余程誠意を以て対応しないと、定着はしない。中国人は相手の人となりを重んじ、個人対個人の関係で、肩書きは表向きだけで、本質的には余り役立たない。

 中国人から看て、日本人を次のように謂われたことがある。日本人は権威主義で、相手の肩書きを重んじ、個人の資質を重んじない。中国人は相手の資質を重んじ、相手の肩書きを重んじない。

 漢民族には永い詩歌の歴史があるが、十億人が創作できる訳ではない。型に嵌めれば程ほどに作品が創れる事が、定型としての特徴でもあり、本来の姿でもある。然し、長い年月に渉って洗練された結果、高度で緻密に成りすぎた。その結果、却って難しく成ってしまった。

 中国政府は国民の文化向上の爲に、自由詩を提唱したが、自由詩は自由であるが爲に、却って難しい。定型は定型であるが爲に、本来は却って易しいのである。
 私はこの利点を生かし、易しい定型の提唱は、詩歌普及に有効な手段と知り、新しい詩歌の種を撒いた。そして平成生まれの新しい詩歌に、日本と中華と言う意味で「曄歌」と命名した。名前と、定型の利便性と、詩法の未熟さが幸いして、どうやら根付いたようである。


余談 
 私に執って漢詩詞は理路整然としていて、「感性」などの言葉で云われる処の、後學者には理解しにくい、朦朧の部分が少ないのが幸いである。

 漢詩詞について、ちょっと聴いただけでも知っていると言う人も居るし、読んだだけで知っていると言う人も居る。

 本当の知識は、聞いた話でも読んだ話でもない。読んだり聴いたりしただけでは駄目で、少なくとも一度は自分で再確認してみることだ。
 再確認の方法として、白黒付くまで創ってみることだ。そこで自分の理解が、出来るのか、出来ないのかが、解る。

 再確認して納得が出来たら、初めて大手を振って自分の知識である!と言える。又、分からない!不確実!とも言える。
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 知っているとは、知識が理路整然としていて、知っている事と、知らない事をはっきり弁えている事だ。

 自分自身の現実を知っていれば、どの様な場面に遭遇しても臆することなく、自信がもてる。

 知識は追加すればよいのだから、総てを知る必要はない。知っていることと知らないことの判別が重要である。


12月号補追 創作法 楹聯 填詞

 楹聯は詩詞と句法は殆ど同じだが、楹聯だけに興味を抱く人もいる。律詩の要は對仗で、對仗は對聯を為している。ただ后に對仗だけを専ら用いた對聯を楹聯と喚ぶように成った。庁堂の前の柱を楹と謂い、楹柱に對聯を書き、此が楹聯である。

 古くからの言い伝えによると、春節の期、門前に一対の除邪去病、納瑞迎祥の木札を取り付けた。南朝《荊楚歳時記》に依ると、五行之精、能制百鬼の護符を仙木と謂って、《風俗通》に依れば、上古の時、神荼(魔除けの草)が有って、郁壘兄弟二人が虎退治をした。
 後の人は板を削って掲げた。板には、郁壘二人の像と魔除け草と、二人の名前を書いた。此は最も早い時期の門神で、その後、紙に書かれた門神を買ってきて、一人は白顔、一人は黒顔で、魔除け草は書かれていた。

 王安石《元日》詩に“爆竹聲中一夢除,春風送暖入屠蘇,千門萬戸瞳瞳日,総把新桃換舊符”この事から、北宋の時代には風俗習慣と成った。宋の《歳時廣記》には護符板上に聯語を書くのは五代后蜀の時代に開始されたと記載されている。五代后蜀主孟昶は蜀亡前一年(公元965年)年末護符板上に“新年納余慶,佳節賀長春”と書いた。

 對聯の創作は差ほど難しい事ではない。對仗が出来る人なら誰でも出来る。聯は概ね縦書きで、通常は出だしの句を右側に、続きの句を左側に掛ける事となる。右側の句を上聯と謂い、左側の句を下聯と言う。そして横書きにする場合、上聯を左側にして、句の境を「;」で区切り、下聯を右側に書く。
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投稿の場合も、;で区切って書く。 上聯末字は仄字とする。下聯末字は平字とする。

    洞房聯

洞外桃花灼灼;房内淑女舞翩翩。
洞天福地春光好;房暖濃恩愛長。

    再婚聯

月缺月圓圓古月;人離人合合新人。
琴断一弦籬舊綫;簫吹二度奏新歌。

 詞を填詞とも云い、詞には詩には無い句法もあるが、殆どの句法は詩と同じである。ただ詞は詩とは異なった詩風で有る。

   鶯啼序  許久回故郷之二彼岸某日

初春草堂禿筆,欲説詩客意。
人解否、年少心傷,垢面私泣投地。
黄梁夢、紅飛紫散,薫風換景天将麗。
憾鬼神、尺素追懐,弊衣逃避。

半裂舊箋,一夜枕涙,恋野童鄙俚。
遡年月、迷入平原,風爽相跨鐵騎。
耀明珠、軽羅信歩,笑花貌、歓情安息。
砕幻壺,漸次貌消,寂然星歴。

故郷父母,陋巷家族,誰知我心秘。
茶換酒、遺棄羞耻,不數年齢,欲寫吾思,寄書可否?
青春意気,明眸麗質,江湖多歳相思語,趁幽期、閉眼寫佳麗。
近旁古刹,僧若会去黄泉,吾心欲托双鯉。

焚香始祖,更加一香,勿忘彼岸季。
弄詞句、寫天地誼,識陰陽情,君成嫩葩,我爲堅蔕。
香烟熄燼,星眸磨燼,窗前緑影如夢裏,怕吾心、座右存芳醴。
勿嗤老叟郷愁,悶悶一吟,半觴沈溺。

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# by kanshiriun | 2012-11-18 13:44 | 2010年1月号